オーヴェルニュ周遊の最後は Le puy en Velay という町です。

・・・って、前回の更新から3か月以上放置してしまいすでに半年前の話をまだ引きずっている上に最近他に記憶しておくことが多すぎて、もう何を書こうとしてたのか思い出せないもじゃもじゃうさぎが、今日は必死で記憶をたどってお届けします。

巡礼への出発地点

まずこの町では、町なのにハイキングスタイル(しかもけっこう重装備)の人をよく見かけます。

それもそのはず、この町はサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路のフランスからのスタート地点の一つとして知られているからです。そう、ここからコンク (Conques) やモワサック (Moissac) といった村を通ってスペイン方面へ向かい、1522kmの道のりを行くわけです。

もっとも1522kmを行く人ばかりではなく、また本当に巡礼目的の人ばかりでもなく、ちょっとしたハイキングのノリでここから美しい村コンクあたりまで「なんちゃって巡礼」を楽しむ人なんかもたくさんいるみたいです。下に紹介する「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼紀行」を聞いて、これはハードルが高いと思っていたもじゃもじゃうさぎも、Le Puy en Velayからコンクまでだったら、ちょっとやってみたい気もします。でも、周りに一緒に170km以上も歩いてくれる人はいないな…。

大きなロマネスク様式のカテドラルや赤い巨大マリア像、岩山の上に建てられた教会などが町の見どころとなります。

岩の上にそびえ立つこの高さ16メートルの巨大な赤マリア像は、1860年建造と比較的新しく、クリミア戦争で使われた大砲を溶かしてリサイクルした鉄製の像です。この像をデザインした人、じつはリヨンのフルヴィエールの丘の教会の屋根から市内を見下ろすマリア像の公募の際にも応募してたらしいですね。

マリア像自体高いところにあるので、せっせと階段を上っていくわけですが、さらに像の中にも階段があって上れるようになっています。もじゃもじゃうさぎ、高所恐怖症とか閉所恐怖症とかではないのですがこの狭いらせん階段は何だか苦手で、マリア像の腿あたりで断念しました。

岩山の上に建っているチャペルは、実際の場所はちょっと遠いので今回は遠くから眺めるだけにしておきます。それにしても岩山の頂上に教会とか、信仰の名のもとに昔の人はたいそうなものを造ってる(造らせてる)なぁ・・・と昔の宗教の力に驚きを禁じ得ません。

またこの町は「レース」が伝統産業だったとのことで、カテドラル周辺にレースを作って売っているお店が何軒かあります(といっても完全にお土産物屋仕様)ので、立ち寄ってみてもおもしろいでしょう。

le Puy en Veleyについては、こちらの記事もどうぞ。

マップを読込み中 - しばらくお待ち下さい...

Le Puy en Velay (ル・ピュイ・アン・ヴレ) 45.043200, 3.884910 Le Puy en Velay (ル・ピュイ・アン・ヴレ) Le Puy en Velay 再び ルピュイのレース

ところで、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼って実際どんな調子なの???

もじゃもじゃうさぎが体験してきたわけではありませんが、最近身近なところに体験してきた人がいますので、ちょっとご紹介。

体験者: Bricole(仮名)60代女性。農作業や大工仕事もこなす強靭な心身で定年退職後のながーいバカンスを謳歌中。
体験時期: 2015年9月
おすすめ度 : ★★☆☆☆ (推定)

特に信者ではないけどスペインでサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼に同年代のお友達と3人で挑戦。6週間の予定で出発!
Le Puy en Velayではなく、国境近くのSaint Jean Pied de Portという町からスペイン方面へ。数日後「どこだかよくわからない」場所から早速「足が痛い」という報告SMSがもじゃもじゃうさぎのもとに届く。その後も同様のSMSが届き、しっかりした靴を履いていても足が血まみれになって痛いらしいということがよくわかる。足の爪が抜け落ちたりしたらしい(もっとも彼女の足の方の問題でもあるんだけど)。

さて、宿泊は巡礼宿というのが一定の距離ごとにあるが、午後2時までには到着しないと満員だったり、予約していても勝手にキャンセル扱いにされたりして寝床を逃す。
寝床を逃すとどうなるか?一応の屋根は提供してもらえたものの体育館のような場所に寝具もなしで雑魚寝というありさまなので、ぐっすり眠れず疲れがとれない。
というわけで
以後は早寝早起きの生活リズムを遵守し、景色を楽しもうなどという邪な心も、写真を撮るなどという世俗のお楽しみも忘れ、ひたすら心を無にして歩くことに集中・・・。
また、当然景色が美しい場所ばかりではないので、そういう場所は本当にただ歩くだけらしい。

出発して4週間後、息子の新居の工事があるから・・・と言って(いちおう事実)一人フランスへ逃げ帰るが、内心「しめしめ」と思っていただろうことは彼女の話しぶりからも明らかである。

とまあ、彼女はこのように過酷だったありさまを語っていましたが、巡礼を成し遂げてご満悦のレポートもネット上には転がっているはずなので、いろいろ参考にしてみてくださいね。

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